岡山・木村正明オーナーの挑戦
アスリートからクラブオーナーへ
岡山のサッカークラブ、ファジアーノ岡山は、2024年にJ1への初昇格を達成しました。
この輝かしい成果の裏には、木村正明オーナーの並々ならぬ努力と情熱があります。
東京大学を卒業し、ゴールドマン・サックスで14年のキャリアを持つ木村さんは、2006年からクラブ運営に関与し始めました。
その選択は、スポーツの舞台で新たな挑戦をする決断であり、非常にインスパイアされるストーリーです。
彼は、アスリートでありながら経営者としての視点を持つ「アスリート投資家」でもあります。
資金集めの修羅場
ファジアーノ岡山の運営に関わり始めた当初、木村オーナーは資金集めに苦労していました。
当時はスポンサー企業がほとんど存在せず、営業を行おうにも相手にしてもらえない状況。
そのため、彼は「夜討ち朝駆け」を駆使し、スポンサーになってくれる企業を探して奔走しました。
飲み屋に先回りして待ったり、企業との信頼関係を築くために根性を見せるしかなかったそうです。
この姿勢は、実に感銘を受けます。
昇格の道のりと挑戦
2008年には、ようやくスポンサーが200社に増え、JFLからJ2への昇格を達成しました。
しかし、昇格には1億円を集めなければならず、木村さんは限られた時間の中で全てのスポンサーを回り、必死に資金を集めました。
最終的には、Jリーグに必要な入会金を何とか支払い、クラブとして生き残ることができました。
このような背景には、彼の果敢な挑戦心と高い志があります。
リーマンショックと投資の鉄則
2008年はリーマンショックの影響も大きく、木村オーナーも大きな影響を受けました。
しかし彼は、その逆境をチャンスに変えるマインドセットを持っていました。
稼いだ資金の運用についても、長期的な視点を忘れず、感情に流されることなく冷静に行動することを心掛けたと言います。
「買う勇気を持つ」ことが投資の鉄則であり、彼の投資哲学は非常に教訓的です。
地域に根ざしたクラブの理想
岡山では、クラブの理念も明確です。
「観客に愛されるクラブ」になるため、手塚監督のもと、さまざまな取り組みが行われてきました。
品行方正な選手を集め、地域に根ざした存在として、岡山の人々にリスペクトされる集団を目指してきました。
その結果、サポーターの数も増え、毎週の試合には多くのファンが足を運ぶようになりました。
木村オーナーの全力投球は、不安定な時期を乗り越え、岡山をより強固な地域クラブへと成長させました。
未来に向けた展望と考え
木村オーナーは、Jリーグ全体の発展にも寄与してきました。
彼は、クラブ経営においても投資家としての視点を持ち続け、地域貢献を大事にする姿勢が印象的です。
次回のインタビューでは、コロナ禍での活動や、現在の岡山クラブの状況について、さらに詳しいお話を聞かせていただきたいと思います。
木村オーナーの情熱と行動力が、ファジアーノ岡山の未来にどのように影響を与えていくのか、非常に楽しみです。